今までに訪ね歩いた場所についての備忘録。
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有名なアンコール・ワットが建設されてからすこし後、12世紀の後半に建設された寺院。 アンコールワットはヒンドゥー教の寺院だか、タ・プロームは仏教寺院として建設された。

他の遺跡とは違って修復時に樹木が取り除かれず、密林に覆われた雰囲気を残している。

雨あがりの朝もやの中、この寺院を訪れると不思議な雰囲気に魅了される。

ガイドブックには「自然の脅威を感じさせる熱帯の木々‥」などと紹介されるが、実際に訪れて感じるのは脅威よりも、時間と共に森に包まれていく優しい感覚だ。そして、その姿がとても自然に感じる。

様々な色の苔が壁の彫刻を覆い、さながら苔で出来たレリーフ(浮き彫り)のようだ。
敷地に残る暗いお堂の中を見上げると、天窓から遠く木漏れ日が揺れる。


自然の成り行きに任せたように見える寺院だが、実際にはこれ以上崩壊が進まないように補強や管理がされている。
その人為的な力と自然の力の微妙なバランスが、このあやうい魅力を産み出す理由なのかもしれない。


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徳島の南、阿南市にある小さな神社。

この辺りは昔から花火の盛んな場所として知られる。その中でも榊(さかき)の神様は花火が好きだということで、小さな村落にもかかわらず、毎年秋祭りには沢山の花火が打ち上げられる。

かつてこの辺りには、村落ごとに独自の花火が継承されており、複雑に進化した花火は秘伝とされたという。しかし現在では危険物に関する法令の強化と過疎化などの要因が重なり、ほとんどの花火の製法は伝えられていない。

この榊神社でも数年前までは「吹き筒」と呼ばれる大型の噴水状の花火が特色だった。

だが、近年境内に造られた建物への飛び火を懸念して吹き筒は取止めになり、写真のような打ち上げ花火が主体となっている。

遠く離れた場所からしか見ることのできない都会の花火大会とは違い、近くから見上げるように見る花火は味わいがある。秋風に吹かれながらの花火も気持ちの良いものだ。

しかし、歴史ある花火の姿が変わっていくのは残念だ。かつては境内に生えるクスノキの大木を焦がすように火の粉が吹き上がり、光に浮かび上がるクスノキのシルエットは、祭りの不思議な高揚感をもたらしていた。

現在、「吹き筒」を榊神社で見ることは出来ないが、同じ市内の日和佐町赤松という場所で保存会が結成され、都会の花火大会とは違う盛大な「火祭り」が継承されている。


| 日本 | |
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バスで高野橋(鴨川の上流に架かる橋)に差し掛かると、綺麗な夕焼けが見えた。低い屋根の上に西の山が連なって見える。

現在は背の高い建築が立ち並び、山の連なりがほとんど見えない京都の街。かつては遠く眺めがきき、三方の山並みに抱かれた感覚を感じることができる街だったのではないだろうか。


春はあけぼの やうやう白くなりゆく やまぎは少し明かりて 紫だちたる雲のほそくたなびきたる


「この文章は京都の東山の空を見て綴られた」という話を聞いた時、普段から東山を見慣れている身には、枕草子の世界をぐっと近くに感じる新鮮な驚きがあった。しかし清少納言が見たのは垣根のように連なった東山の景色だっただろう。

三方を、なだらかに連なる山で囲まれた景色は、そこに住む人に一つのアイデンティティをもたらしていたのではないかと思う。

山並を見渡せる街は、その緑の帯によって一つのまとまりを与えていただろう。

遠くに見えるいくつもの伽藍、都の鬼門に高くそびえる比叡山、五山に浮かび上がる炎の文字など、街は様々な呪術でも取り囲まれ、ある種の一体感を得ていたのではないだろうか。

現在の京都は視覚的な一体感は存在しない。連続した視覚でなく、ごく一部に残った「古都のイメージ」が京都という一体感をつないでいる。

離れた場所に点在するいくつかの寺院をまとめて、一つの遺産とした世界遺産への登録方法も示唆的だ。

このイメージの編集がこれからの京都を存続させるのだろうか。イメージは年月と共に解体されていくのだろうか、それとも新たな京都のイメージを追加していくことで街が再編されていくのだろうか。

そんな事をふと思わせる秋の夕暮れだった。



| 日本 | |
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近年、タイのバンコクはあちこちで大規模な再開発が進み、多くのデパートやショッピングセンターがオープンしているが、サイアム・パラゴンもその一つ。2006年夏にオープンした高級デパートだ。

スカイトレインの駅に接続された2階エントランスは4層分の吹き抜けのとなっており、池に設えられたゲート状のオブジェと、周囲の壁面は様々な植物で緑化されている。

日本にもフランス人植物学者、パトリック・ブラン氏による壁面緑化が金沢や大阪などに作られているが、この壁面緑化はそれらと比べても格段に大きく、緑が長く枝垂れる様子に圧倒される。
使用されている植物は、日本ではあまり見ることのできない多種の熱帯植物で構成されていて、温帯の国の住人の目には植物園のようだ。

昨今、日本では省エネの観点から屋上緑化や壁面緑化がもてはやされているが、日差しの強い熱帯の国でこそ壁面緑化をする価値があるのかもしれない。

熱帯雨林では、太陽エネルギーを一番利用しやすい樹冠(森の最上部)に沢山の生物が生息しており、つる植物や着生植物(高木の枝などにくっついて生育する植物)が多く生育している。

もし、高層ビルが密林の高木の役割を果たす様な都市緑化ができれば、温帯の国には真似できない風景を産み出すことができるかもしれない。
ランやシダなどの着生植物で覆われたビルが立ち並ぶ景色は、熱帯都市独特のユニークな生態系とランドスケープを産み出すことだろう。



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世界で唯一、神ではなく人間が国土を創り上げたと言われるオランダ。そんなオランダにも神が創った土地がある。

オランダ中部に広がるホーへ・フェルヴェ国立公園は砂丘のような荒野、深い森など、干拓した平原が広がるオランダでは珍しい起伏のある風景が5500haにわたって広がる、オランダで最大かつ最古の国立公園だ。

その自然に寄り添うように、クレーラー・ミューラー美術館はたたずんでいる。

ゴッホの収蔵で有名な美術館で、アムステルダムのゴッホ美術館に並ぶコレクションを誇る。
日本の教科書にも登場する絵が数多く飾られ、その絵の前に立つと懐かしいような不思議な気持ちになる。
美術館は新館と旧館に分かれており、ゴッホの絵は旧館に、現代美術が新館に展示されている。旧館はレンガで造られ、内部を白い壁に守られた柔らかな印象、新館はガラスがふんだんに用いられ、森と一体化した光と影が交錯する建築だ。

しかし、この美術館を訪れて最も印象的なのは屋外空間だろう。

照明計画に不満の残る旧館内部とは違い、明るい日差しで照らされた外部は、森と芝生が組み合わされた庭に彫刻が点在していて、爽やかな気持ちで美術を鑑賞できる。
訪れた五月にはシャクナゲの花が満開で、その艶やかな花、森の風に含まれる松ヤニの甘い香り、嘘のように澄んだ鳥の声など視覚だけではない、様々な体験ができた。

視覚障害を持つ人たちが彫刻を手で触って鑑賞する、というプログラムが行われていたのは、そんな環境もあってだろうか。

美術館の外の国立公園は貸自転車によってサイクリングが楽しめるようになっており、美術館の前にもシンプルで美しい自転車置場が整備されている。

オランダは世界でも有数の自転車王国で、首都のアムステルダムにも立派な自転車専用道路が設けられているが、環境への負担がすくないこの交通システムは、日本でももっと検討されてよいものではないかと思う。

車やバイクとは違い、土地の起伏を身体で直接感じる乗り物。
険しい坂道は無理でも、平野部に広がる都市やその側を流れる大河沿いなどを気持ちの良い空間で繋ぐことは可能ではないか。
自転車道のネットワークは、視覚とは違う自然の体感方法、車のスピードとは違う生活時間の流れを産み出す可能性を秘めている。



 
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