今までに訪ね歩いた場所についての備忘録。
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徳島の南、阿南市にある小さな神社。

この辺りは昔から花火の盛んな場所として知られる。その中でも榊(さかき)の神様は花火が好きだということで、小さな村落にもかかわらず、毎年秋祭りには沢山の花火が打ち上げられる。

かつてこの辺りには、村落ごとに独自の花火が継承されており、複雑に進化した花火は秘伝とされたという。しかし現在では危険物に関する法令の強化と過疎化などの要因が重なり、ほとんどの花火の製法は伝えられていない。

この榊神社でも数年前までは「吹き筒」と呼ばれる大型の噴水状の花火が特色だった。

だが、近年境内に造られた建物への飛び火を懸念して吹き筒は取止めになり、写真のような打ち上げ花火が主体となっている。

遠く離れた場所からしか見ることのできない都会の花火大会とは違い、近くから見上げるように見る花火は味わいがある。秋風に吹かれながらの花火も気持ちの良いものだ。

しかし、歴史ある花火の姿が変わっていくのは残念だ。かつては境内に生えるクスノキの大木を焦がすように火の粉が吹き上がり、光に浮かび上がるクスノキのシルエットは、祭りの不思議な高揚感をもたらしていた。

現在、「吹き筒」を榊神社で見ることは出来ないが、同じ市内の日和佐町赤松という場所で保存会が結成され、都会の花火大会とは違う盛大な「火祭り」が継承されている。


| 日本 | |
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バスで高野橋(鴨川の上流に架かる橋)に差し掛かると、綺麗な夕焼けが見えた。低い屋根の上に西の山が連なって見える。

現在は背の高い建築が立ち並び、山の連なりがほとんど見えない京都の街。かつては遠く眺めがきき、三方の山並みに抱かれた感覚を感じることができる街だったのではないだろうか。


春はあけぼの やうやう白くなりゆく やまぎは少し明かりて 紫だちたる雲のほそくたなびきたる


「この文章は京都の東山の空を見て綴られた」という話を聞いた時、普段から東山を見慣れている身には、枕草子の世界をぐっと近くに感じる新鮮な驚きがあった。しかし清少納言が見たのは垣根のように連なった東山の景色だっただろう。

三方を、なだらかに連なる山で囲まれた景色は、そこに住む人に一つのアイデンティティをもたらしていたのではないかと思う。

山並を見渡せる街は、その緑の帯によって一つのまとまりを与えていただろう。

遠くに見えるいくつもの伽藍、都の鬼門に高くそびえる比叡山、五山に浮かび上がる炎の文字など、街は様々な呪術でも取り囲まれ、ある種の一体感を得ていたのではないだろうか。

現在の京都は視覚的な一体感は存在しない。連続した視覚でなく、ごく一部に残った「古都のイメージ」が京都という一体感をつないでいる。

離れた場所に点在するいくつかの寺院をまとめて、一つの遺産とした世界遺産への登録方法も示唆的だ。

このイメージの編集がこれからの京都を存続させるのだろうか。イメージは年月と共に解体されていくのだろうか、それとも新たな京都のイメージを追加していくことで街が再編されていくのだろうか。

そんな事をふと思わせる秋の夕暮れだった。



| 日本 | |
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世の中には不思議な人がいるものだ。

こけ山水美術園の運営をされている佐々木さんは、20年にわたって独学でコケの生育・研究をされた方で、実際に多種のコケを育て、野山を歩き、観察によって導き出された独特の論理には重みがある。

谷川に沿って作られた研究所には、ひんやりとした心地よい湿度の空気がたたずんいでいて、美しく育ったコケが不思議な静寂感を放っている。

野山の中でも、苔むした場所には不思議な静寂感・厳粛な雰囲気が漂っているものだが、コケがよく育つ空気には何か共通する成分のようなものが含まれているのだろうか。佐々木さんはそれを「ガス道」と表現されている。
屋久島を訪れたときも、厚くコケで覆われた森の中で同じ、不思議に深い空気が満ちているのを感じたことを思い出す。天を突く巨木の森は毛深く、柔らかな緑で優しく包まれているのだ。

鎌倉時代から室町時代にかけて発達した思索のための庭、「禅の石庭」にコケが使用されるのも、当時の作庭家がそのスピリチュアルな雰囲気を体験的に知っていたためかもしれない。

佐々木さんのお話を伺っているとコケへの愛情が強く感じられるが、哲学的な話にふれることが度々ある。
粘菌の研究で有名な南方熊楠も膨大な思想論を残しているが、菌類やコケなどの研究はその様な哲学を引き寄せるのだろうか。

佐々木さんはまた、コケと対峙してその美を鑑賞する方法を発案されているのだが、その様子を見ていると、かつて日本に生まれた数々の芸事の始まりを見るようでもあり、「心」を重視したその鑑賞法は非常に興味深いものだった。



| 日本 | |
fuji03.jpgこの春、なぜか強く藤の花を見たいという気分になり、春日大社に出かけて神苑で白や桃色、八重など様々な藤を楽しんだ。

神苑の藤の花を十分堪能した後、参詣道を下っていく途中に野生の藤が咲いているのを見つけた。近付いてみると、また少し離れたところに藤の花が咲いている。そして、またその先にも。

藤の花に導かれるようにどれほど進んだだろうか。ふいに芝生の小さな広場に入り込んだ。

そこは四方を咲き乱れる藤の花に囲まれた場所だった。霞のような紫の花が森を覆い尽くしている。紫煙がたなびくような景色に、訪れた人々が感嘆の声をあげていた。
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キャンバスにその姿をとどめようとする人、芝生にすわりこんで飽きずにながめる人、重量感のある馥郁(ふくいく)とした香りを楽しむ人、みな様々な方法で花を楽しんでいる。
このような見事な藤の景色をいまだかつてみたことがない。藤を霊木と崇める春日野ゆえの景色といえようか。



藤の季節に奈良を訪ねたなら、ぜひ野生の藤の花をたどってほしい。
その先には、他では見ることができない 「紫たなびく景色」 が広がっているはずだから。
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| 日本 | |
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京都で行われている若冲(じゃくちゅう)展の事前公開に参加する機会に恵まれた。

江戸時代の奇想の画家、若冲の最高傑作と言われる「動植綵絵(どうしょくさいえ)」。中学生の頃にさかのぼる若冲との出会いは、この絵だった。20年も昔になる。

もともと想像上の生物も含めた様々な鳥類、植物、虫の類を30枚の絵とし、3枚の釈迦像を加えた33枚が一連の作品だったという。永く相国寺に収められていたものが明治時代、花鳥画と仏画、それぞれが皇室と相国寺に分けて保管されることになる。33枚の絵が一堂に展示されることはそれ以来なかった。

この20年あまりの間に、幾度か動植綵絵を見る機会はあったが、どの展覧会も数点ずつ展示しているだけで、すべてが並んでいるのは見たことがない。

鮮やかな色彩が緻密に描きこまれた作品は一枚見るだけでも異彩をはなっているのだが、その絵が33枚も並ぶと圧倒されるような迫力がある。
動植綵絵が展示されている部屋に入ると、両側の絵がざわめいているかのようだ。
この美術館は、この33枚の絵を展示することを想定して設計されたそうだが、その効果が遺憾なく発揮されている。


展示室前の中庭には、若冲と親交が深かった大典禅師お手植えの大ケヤキがある。工事のためか上部の枝が大きく切り払われていたが、根は隆々と盛り上がり、力がみなぎっていた。

200年以上も同じ場所に生き続けるこの木は、再び京都に戻ったこの絵をどのような気持ちで見守っているのだろうか。


若冲展 
釈迦三尊像と動植綵絵~120年ぶりの再会~

会期: 2007年5月13日(日)~ 6月3日(日)
会場: 相国寺承天閣美術館
開館時間: 午前10時 ~ 午後5時(入館は午後4時半まで)
休館日: 会期中無休




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