今までに訪ね歩いた場所についての備忘録。
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バスで高野橋(鴨川の上流に架かる橋)に差し掛かると、綺麗な夕焼けが見えた。低い屋根の上に西の山が連なって見える。

現在は背の高い建築が立ち並び、山の連なりがほとんど見えない京都の街。かつては遠く眺めがきき、三方の山並みに抱かれた感覚を感じることができる街だったのではないだろうか。


春はあけぼの やうやう白くなりゆく やまぎは少し明かりて 紫だちたる雲のほそくたなびきたる


「この文章は京都の東山の空を見て綴られた」という話を聞いた時、普段から東山を見慣れている身には、枕草子の世界をぐっと近くに感じる新鮮な驚きがあった。しかし清少納言が見たのは垣根のように連なった東山の景色だっただろう。

三方を、なだらかに連なる山で囲まれた景色は、そこに住む人に一つのアイデンティティをもたらしていたのではないかと思う。

山並を見渡せる街は、その緑の帯によって一つのまとまりを与えていただろう。

遠くに見えるいくつもの伽藍、都の鬼門に高くそびえる比叡山、五山に浮かび上がる炎の文字など、街は様々な呪術でも取り囲まれ、ある種の一体感を得ていたのではないだろうか。

現在の京都は視覚的な一体感は存在しない。連続した視覚でなく、ごく一部に残った「古都のイメージ」が京都という一体感をつないでいる。

離れた場所に点在するいくつかの寺院をまとめて、一つの遺産とした世界遺産への登録方法も示唆的だ。

このイメージの編集がこれからの京都を存続させるのだろうか。イメージは年月と共に解体されていくのだろうか、それとも新たな京都のイメージを追加していくことで街が再編されていくのだろうか。

そんな事をふと思わせる秋の夕暮れだった。



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