今までに訪ね歩いた場所についての備忘録。
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フランスはパリ、フォーシーズンズホテル・ジョルジュサンクは美しい花の装飾で名高いホテルだ。

大理石や金箔がふんだんに使われたクラシカルなロビーや通路には、大きなガラスの花器が並べられ、高価な花がダイナミックに活けられている。

逆さまに水に差し込まれた黒いカラー、葉を除き、かしぐように活けられたアジサイなど、風変わりなディスプレイはインスタレーションアートのようでもある。

この花を演出するのが、ジェフ・リーサム。
モデル出身という彼の経歴は、花とファッションの近しい関係を表しているようで興味深い。

あるインタビュー記事によると、花に視線を集めるため、花器は透明なものしか使わないという。

実際にホテルを訪れてみると、ガラス花器に反射する光が、きらびやかな空間と一体化し、花を引き立たせるだけでなく室内全体を軽やかで華やかな非日常空間へと変貌させている。

水に浮かべられたり、沈められたりした花々はその光と一体になり短い生命に一瞬の輝きを放っているかのようだ。


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古くから人の住むインドネシア・ジャワ島にはジョグジャカルタとソロと言う二つの古都がある。ジョグジャカルタは日本の京都、ソロは奈良になぞらえられるが、チュト寺院は奈良にたとえられる古都ソロの街の郊外、標高3000mを越すラウ山の麓にあるヒンドゥー教の寺院だ。

日本では室町時代にあたる頃、ジャワ島に王朝を開いたヒンドゥーの人々はイスラム教徒に追われて山奥の僻地や隣の島・バリ島へ逃れた。
ソロの奥地へ逃れたヒンドゥーの教えは古くからの民間信仰と結びついたようで、このチュト寺院はアニミズム(原始宗教)の神秘的な雰囲気が漂う。

15世紀に造成された敷地はテラスが階段状に連なっていて、それぞれのテラスには魚や亀をかたどったレリーフが魔方陣のように配置されていたり、首だけの彫像が並べられたりしている。


階段と狭い門をくぐりながらテラスを進むと、板葺きの小さな祠がいくつもあり、その雰囲気はまるで日本の神社のようだ。
門は上へ登るほど小さく、狭く造られてあり、遠近法を利用して神聖な場所へ近付く雰囲気を演出している。


この寺院へ行くための道は細くて所々に大きな穴が開いている。乗用車のタクシーでは通ることができないためバイクタクシーを利用しなければならない。
ヘルメットを被らず、高原の涼しい風を直接顔に受けてバイクが走る。日本では考えられないような急斜面の畑を抜け、山道を歩く小学生や農家の女性達を追い抜いて行くと、遠く霧にかすんだ寺院が見えてくる。

この道のりの体験こそが、チュト寺院の魅力をより深く、大きいものにしている。
見渡す限りのお茶(ジャワティー)の畑、流れる雲、冷たい風、空気に吸い込まれる鳥の声、そういった諸々の要素こそが神殿への素晴らしいアプローチとなっているのだ。


(写真上左:考えられないような急斜面の畑  写真上右:バイクタクシーと友人二人  写真下左:魔方陣のような地面のレリーフ  写真下右:一面の茶畑)


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険しい山と海に囲まれ、古くから独特の文化を育んだ土佐の国。
高知市の北東に流れる物部川の中流、大川上美良布神社の秋の大祭には、素朴でありながら非常に興味深い神事が伝わる。

祭りでは、川上様とよばれる神様の一族が御旅所に遷られるために「おなばれ」と呼ばれる行列を仕立て、練り歩く。
行列には神輿、大太鼓、音がなる様に作られた碁盤を振り回し踊る「碁盤振り」、二人一組になって棒を叩き合い音を鳴らす「棒打ち」、舞姫、天狗、獅子舞、稚児など様々な人々が連なるが、その中でも特に不思議な雰囲気をもつのが「鳥毛・とりけ」である。

江戸時代、参勤交代を申し付けられた各藩は幕府によって定められた独自の「毛槍」(けやり・装飾のついた長い槍)をかかげ、江戸との間を往来した。毛槍には羽熊(ハグマ・白熊とも綴るヤクの毛)や、白鳥、小鳥毛、猿毛など様々な素材と形のものがあったと伝えられるが、土佐藩の毛槍は尾長鶏の羽で作られた鳥毛で、江戸でも有名なものだったと言う。

この祭りには5種の毛槍が用いられているが、その内の一つは尾長鶏で作られた鳥毛だ。

「おなばれ」に従う毛槍は絶対に地面につけてはならない事になっているため、鳥居や電線をくぐる時、6mもある棒を地面に触れぬ様に傾けて進まねばならない。一時休憩する時も草履の上に棒を立てて休む。


祭りのハイライトは「おなばれ」が御旅所から戻り、この毛槍を持って神社に参拝する「練り込み」の瞬間だ。
毛槍は傾けるとテコの原理で非常に重たいものになる。そこで毛槍を持つのはその年に選ばれた力のある若衆の役目となるのだが、ハイライトではその毛槍を参道に三度、地面ぎりぎりまで倒してお披露目をした後、拝殿の中に傾けた毛槍を突っ込み、三度大きく揺らす動作を行う。
揺らすことによってバネの力でさらに重たくなるのだが、その間に一度、片手でお参りの鈴を鳴らさねばならない。
鈴を鳴らした後はそのままの体勢で後ろ向きに石段を下り、参道の両端で見学する参拝客の頭をなでる様に三度触れた後、棒を引き起こす。

一連の動作には若衆の体力の限りを尽くして行われるため、見守る観客にも力が入り、神社全体が一体感に包まれる。スポーツを観戦する時に似た感覚だ。
かつて祭りというものには観客も参加者も一体となるカタルシスの効果があったのだろうと思われるが、そんな事を連想させる瞬間だ。
以前、祭りが持っていたその役目を、現在ではオリンピックやワールドカップが代行しているのだろう。


また、かつての空間概念として、「高い所にあるもの=尊い」といった感覚があったと思われるが、この祭りはその感覚が追体験できるものだった。
この祭りが行われる集落の建物は平屋が多く、毛槍が遥か上方で揺れているのだ。遠くからも「おなばれ」がどの辺りにいるのかがわかる。
京都・祇園祭で薙刀鉾の先に取り付けられる薙刀も、かつては仰ぎ見ることで神性を感じたものだっただろう。

大川上美良布神社の秋の大祭は、そんな在りし日のお祭りを体験できる貴重な行事だと感じられた。

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| 日本 | |
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夕方、大阪市内で自転車を走らせていると、上の方で鳥の声がする。ふと見上げると、街路樹に沢山の小鳥のシルエットが浮かび上がった。

大阪の街路には様々な木が植えられているが、ここも数年前に整備されてクロガネモチが植えられた場所。

スズメは繁殖期が終わると集団で生活を始め、葉の茂った木立をねぐらとする習性があるが、街路樹を導入することで、街中でもこのような牧歌的光景が見られるのは楽しいことだ。


木立のシルエットはエッシャーや、安野光雅の 『もりのえほん』 を思わせる「かくし絵」の様だった。あなたは何羽の鳥を見つけることができるだろうか。
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| 日本 | |
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大阪のキタとミナミ、二つの繁華街を一直線につなぐ御堂筋は1937年に建設された巨大インフラ(産業・生活基盤となる施設)だ。

もともと幅6m程度しかなかったこの道を、地下鉄・電線の埋設をともなった大通りとして整備したのは第七代 関一(せきはじめ)大阪市長の力によるところが大きい。

イチョウ並木はこの大通りが建設された時に植栽されているが、樹種をイチョウと決めるまでに様々な紆余曲折があったようだ。
帝国時代であった当時、「パリのシャンゼリゼのように世界に冠たる大通りを建設する」という理念のもとに、アジア特産のイチョウが選定されたと聞く。

建設当時「飛行場でも作るつもりか」と批判された約44mの道幅といい、現在見ても気持ちの良い大空間を持つ地下鉄の駅や、電線の無い地上空間といい、建設当初から50年、100年先や世界を見据えたスケールの大きい視野を感じる。

現在の御堂筋は大きく育った四列のイチョウ並木がヨーロッパの雰囲気を感じさせるというので、世界的なスパーブランドのブティックの出店が相次いでおり、各店舗の規模、出店数はブランド街として東京をしのぐ日本一の規模を誇る。

御堂筋拡張による周辺問屋街の発展、空襲にも焼け残った御堂筋での戦後復興など、現在にいたるまで御堂筋の存在は大阪の経済に大きな影響をもたらしている。

約70年前、爆発的に成長する「大大阪(だいおおさか)」をイメージして作られた御堂筋。

現在から100年の後、爆発的に増え続ける世界人口とは逆に人口が半減し、その70%が都心部に住むとも言われる今後の日本。

未来と世界を見据えた計画は、現在にも必要不可欠な考え方と言えるのではないだろうか。


| 日本 | |
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1694年から建設が始められた不思議な庭、レブンスホール(レヴァンスホール)ガーデンはイギリスの北部、湖水地方の小さな町ケンダルの郊外にある。

トピアリー(装飾的刈り込み)の庭で名高い庭園だが、6m近くもあるトピアリーが並ぶ庭はチェスをテーマにしたとも言われており、ユーモラスな雰囲気を漂わせる。

以前、ランドスケープデザイナーの発言で

「人間が自然を制御しようとする意志と、木々が自由に伸びようとする意志との間で起こる<形の揺らぎ>が人と自然の関係を表していて興味深い」

という一文を読んだことがあるが、この庭園の魅力はまさにそこにある。
不思議に歪んだ形が、永い時間をかけて行われた人と自然のコラボレーション(共同作業)を想像させて面白い。
そして、その自然に歪んだ形こそがユーモラスさを醸し出しているのだろう。


園内には生垣に沿った細い砂利通路や、生垣に囲まれた芝生の小部屋等もしつらえてある。音がザクザクと鳴る砂利の通路から、感触の柔らかな芝生の小部屋へ足を踏み入れると急に足音が消え、静謐な空間への変化が感じられる。
そのようなきめ細やかな空間構成のしつらえも魅力の一つだ。

この庭を訪ねた当時(1993年)は4人の専属庭師がこの庭の手入れを行っていると聞いたが、現在は5人の庭師が300年の伝統を受け継いでいるらしい。
ルイス・キャロルの小説に出てきそうな不思議な空間は、現在も保たれてているだろうか。


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古くから都の置かれた奈良には、シルクロードを通じてもたらされた数々の至宝があるが、南都楽所(なんとがくそ)に伝えられる雅楽もその一つだ。


年の瀬も迫った十二月、奈良の春日大社では春日若宮おん祭(かすがわかみやおんまつり)という盛大な祭りがとり行われる。

3日間に渡って行われる祭りには、時代装束を着た行列や流鏑馬(やぶさめ)、競馬など様々な演目が行われるが、その中でも祭りの華となるのが「お旅所祭り」だ。
緑の杉枝で葺かれた御旅所の前に芝の舞台が設えられ、神楽(かぐら)に始まる芸能が半日に渡って奉納される。

舞楽奉納には千年の伝統をもつ南都楽所の人たちが演奏を行うが、その楽隊は総勢30名近い楽人で構成される大所帯である。

それだけの大人数で演奏するにも関わらず、楽隊には指揮者がいない。大太鼓(だたいこ・写真上右)がゆるやかなリズムを刻むだけだ。


楽隊はいくつかの楽器で構成され、役割ごとにひとかたまりとなって座っている。演奏者の手元には火鉢が置かれ、暖をとると共に楽器を暖めながら演奏が行われる。

同じ楽器を受け持つ人が数人いるため、ある人は演奏の最中に突然チューニング(楽器の調整)を始めたり、中にはおしゃべりを始め出す演奏者もいて、西洋のオーケストラを見慣れた目には、その「あいまいな役割分担」がとても不思議に感じる。

この「あいまいさ」こそ、雅楽が大陸では消滅し、日本のみで伝承されてきた歴史の理由なのかもしれない。


雅楽の奉納が終わった後、深夜0時近く、御神体が神社に帰る「還幸の儀(かんこうのぎ)」が行われる。
2本のたいまつ以外すべての光を消して行われる儀式であるため、カメラや懐中電灯、携帯電話の使用禁止が申し渡される。

暗闇の中たいまつを引きずって歩く先導人の後、榊を持った神主が幾重にも御神体を取り囲み、「ヲー、ヲー」と絶え間無く声を上げながら進んでいく。
楽隊もそれに続き、暗闇の中に響く肉声と器楽音が不思議なコントラストを見せる。

現在では混乱が起きないよう、参拝者の歩く順番も管理され、昔日のような原始的雰囲気が味わえないが、かつて春日の原生林の暗闇で行われたこの儀式はとても神秘的なものだったと想像される。

祭りは人の手で行うものである以上、時代とともにその関係性を変えていくものなのだろう。
860年以上途切れることなく続けられているこの祭りにも、能や大名行列など、その時々で新しい内容が付け加えられている。


これからも、あるものは変化し、あるものは継承されるといった歴史をたどることだろう。そんな歴史の変遷を考えさせられるお祭りだった。


| 日本 | |
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5世紀に西ローマ帝国、続いて東ゴート王国の首都が置かれたイタリアの古都、ラヴェンナの古い教会。

ラヴェンナの街には5~6世紀にかけて作られた素晴らしいモザイク画が多く残されているが、その中でも特に印象深かったもののひとつ。

多くのモザイク画は華麗さや荘厳さを感じさせるが、ここの絵は不思議な輝きをもつ黄緑色の野原に、十二使徒を表す子羊や、ユリの花などの様々な植物が配置され、とても牧歌的な雰囲気を感じさせる。

この大きな半球状のドームに描かれたモザイク画を目の前にすると、のどかな草原に包まれるような感覚におちいる。球形の空間ならではの効果だろう。
モザイク画にはガラスや大理石が使われるため、絵には光沢のある素材が創り出す不思議な浮遊感も感じられる。

この教会を訪れたのは夕方だったが、窓から入る光を天井が優しく反射させて、ほのかに浮かび上がり、見るものを幸せにするような光景だった。


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アンドレ・シトロエン公園はパリ・セーヌ河のほとり、自動車メーカー・シトロエンの工場跡地に作られた公園で、1992年に開園している。

初めてパリを訪れた1992年当時、インターネット等という便利な情報源が無かったためこの公園の存在を知らず見過ごしてしまい、その10年後にやっと訪れることが出来た思い出深い場所。

この公園を作るにあたって1985年、国際コンペ(競技)が行われた。本来ならば一つの案のみが選ばれるところを、上位2つの案があまりに似通っていたため、 2つの案を組み合わせて設計されたという変わった経緯を持つ。90年代を代表するランドスケープの一つだと言えるだろう。

公園は幾何学的な構成になっており、広い芝生広場と、それぞれテーマを持った小さな庭の組み合わせで形づくられていて、噴水や滝などの水景、「パルテール」と呼ばれる繊細な温室などが配置されている。

小さな庭は橙・赤・青・緑・銀・金・白・黒といった色で分けられており、それぞれに工夫を凝らした植栽が行われている。

特に最初の6色の庭は「集列の庭」と呼ばれ、金・銀・銅・鉄・水銀・錫の6種の金属、もしくは視覚・嗅覚・味覚・触覚・聴覚に第六感を合わせた6つの知覚になぞらえられている。
中でも銀の庭は銀色がかった葉の植物が集められ、詩的な雰囲気を漂わせる(写真左上・右下)

フランスには17世紀に完成した「フランス式庭園」と呼ばれる眺望の良い幾何学的な庭の伝統があるが、この公園はその伝統を上手く現代に蘇らせた好例だと思う。

フランス式庭園には装飾的な刈り込みや、遠近感を強調する高木の刈り込みがつき物だが、右上と左上の写真に見られるように、この公園にも高さ・幅ともに4mを超える高木の刈り込みが並ぶ。それぞれが一軒家ほどもある大きな立方体の刈り込みは、水平線の広がる風土ならではのものだろう。


幾何学で構成された公園と聞くと非常に冷たい印象を感じるかもしれないが、実際この公園を訪れるとその気持ち良さに驚かされる。
実際、パリ市民からも愛される公園のようで、見学した日にも大勢の家族連れが訪れていた。
広々とした空間と緻密な空間の絶妙な組み合わせが、開放感と親密な快適さを感じさせるのだろう。

洗練されたデザイン・詩的な美しさと快適性が両立する非常に興味深い公園で、このような公園を市街地に持つ街は本当に幸せだと思う。



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有名なアンコール・ワットが建設されてからすこし後、12世紀の後半に建設された寺院。 アンコールワットはヒンドゥー教の寺院だか、タ・プロームは仏教寺院として建設された。

他の遺跡とは違って修復時に樹木が取り除かれず、密林に覆われた雰囲気を残している。

雨あがりの朝もやの中、この寺院を訪れると不思議な雰囲気に魅了される。

ガイドブックには「自然の脅威を感じさせる熱帯の木々‥」などと紹介されるが、実際に訪れて感じるのは脅威よりも、時間と共に森に包まれていく優しい感覚だ。そして、その姿がとても自然に感じる。

様々な色の苔が壁の彫刻を覆い、さながら苔で出来たレリーフ(浮き彫り)のようだ。
敷地に残る暗いお堂の中を見上げると、天窓から遠く木漏れ日が揺れる。


自然の成り行きに任せたように見える寺院だが、実際にはこれ以上崩壊が進まないように補強や管理がされている。
その人為的な力と自然の力の微妙なバランスが、このあやうい魅力を産み出す理由なのかもしれない。


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徳島の南、阿南市にある小さな神社。

この辺りは昔から花火の盛んな場所として知られる。その中でも榊(さかき)の神様は花火が好きだということで、小さな村落にもかかわらず、毎年秋祭りには沢山の花火が打ち上げられる。

かつてこの辺りには、村落ごとに独自の花火が継承されており、複雑に進化した花火は秘伝とされたという。しかし現在では危険物に関する法令の強化と過疎化などの要因が重なり、ほとんどの花火の製法は伝えられていない。

この榊神社でも数年前までは「吹き筒」と呼ばれる大型の噴水状の花火が特色だった。

だが、近年境内に造られた建物への飛び火を懸念して吹き筒は取止めになり、写真のような打ち上げ花火が主体となっている。

遠く離れた場所からしか見ることのできない都会の花火大会とは違い、近くから見上げるように見る花火は味わいがある。秋風に吹かれながらの花火も気持ちの良いものだ。

しかし、歴史ある花火の姿が変わっていくのは残念だ。かつては境内に生えるクスノキの大木を焦がすように火の粉が吹き上がり、光に浮かび上がるクスノキのシルエットは、祭りの不思議な高揚感をもたらしていた。

現在、「吹き筒」を榊神社で見ることは出来ないが、同じ市内の日和佐町赤松という場所で保存会が結成され、都会の花火大会とは違う盛大な「火祭り」が継承されている。


| 日本 | |
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バスで高野橋(鴨川の上流に架かる橋)に差し掛かると、綺麗な夕焼けが見えた。低い屋根の上に西の山が連なって見える。

現在は背の高い建築が立ち並び、山の連なりがほとんど見えない京都の街。かつては遠く眺めがきき、三方の山並みに抱かれた感覚を感じることができる街だったのではないだろうか。


春はあけぼの やうやう白くなりゆく やまぎは少し明かりて 紫だちたる雲のほそくたなびきたる


「この文章は京都の東山の空を見て綴られた」という話を聞いた時、普段から東山を見慣れている身には、枕草子の世界をぐっと近くに感じる新鮮な驚きがあった。しかし清少納言が見たのは垣根のように連なった東山の景色だっただろう。

三方を、なだらかに連なる山で囲まれた景色は、そこに住む人に一つのアイデンティティをもたらしていたのではないかと思う。

山並を見渡せる街は、その緑の帯によって一つのまとまりを与えていただろう。

遠くに見えるいくつもの伽藍、都の鬼門に高くそびえる比叡山、五山に浮かび上がる炎の文字など、街は様々な呪術でも取り囲まれ、ある種の一体感を得ていたのではないだろうか。

現在の京都は視覚的な一体感は存在しない。連続した視覚でなく、ごく一部に残った「古都のイメージ」が京都という一体感をつないでいる。

離れた場所に点在するいくつかの寺院をまとめて、一つの遺産とした世界遺産への登録方法も示唆的だ。

このイメージの編集がこれからの京都を存続させるのだろうか。イメージは年月と共に解体されていくのだろうか、それとも新たな京都のイメージを追加していくことで街が再編されていくのだろうか。

そんな事をふと思わせる秋の夕暮れだった。



| 日本 | |
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近年、タイのバンコクはあちこちで大規模な再開発が進み、多くのデパートやショッピングセンターがオープンしているが、サイアム・パラゴンもその一つ。2006年夏にオープンした高級デパートだ。

スカイトレインの駅に接続された2階エントランスは4層分の吹き抜けのとなっており、池に設えられたゲート状のオブジェと、周囲の壁面は様々な植物で緑化されている。

日本にもフランス人植物学者、パトリック・ブラン氏による壁面緑化が金沢や大阪などに作られているが、この壁面緑化はそれらと比べても格段に大きく、緑が長く枝垂れる様子に圧倒される。
使用されている植物は、日本ではあまり見ることのできない多種の熱帯植物で構成されていて、温帯の国の住人の目には植物園のようだ。

昨今、日本では省エネの観点から屋上緑化や壁面緑化がもてはやされているが、日差しの強い熱帯の国でこそ壁面緑化をする価値があるのかもしれない。

熱帯雨林では、太陽エネルギーを一番利用しやすい樹冠(森の最上部)に沢山の生物が生息しており、つる植物や着生植物(高木の枝などにくっついて生育する植物)が多く生育している。

もし、高層ビルが密林の高木の役割を果たす様な都市緑化ができれば、温帯の国には真似できない風景を産み出すことができるかもしれない。
ランやシダなどの着生植物で覆われたビルが立ち並ぶ景色は、熱帯都市独特のユニークな生態系とランドスケープを産み出すことだろう。



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世界で唯一、神ではなく人間が国土を創り上げたと言われるオランダ。そんなオランダにも神が創った土地がある。

オランダ中部に広がるホーへ・フェルヴェ国立公園は砂丘のような荒野、深い森など、干拓した平原が広がるオランダでは珍しい起伏のある風景が5500haにわたって広がる、オランダで最大かつ最古の国立公園だ。

その自然に寄り添うように、クレーラー・ミューラー美術館はたたずんでいる。

ゴッホの収蔵で有名な美術館で、アムステルダムのゴッホ美術館に並ぶコレクションを誇る。
日本の教科書にも登場する絵が数多く飾られ、その絵の前に立つと懐かしいような不思議な気持ちになる。
美術館は新館と旧館に分かれており、ゴッホの絵は旧館に、現代美術が新館に展示されている。旧館はレンガで造られ、内部を白い壁に守られた柔らかな印象、新館はガラスがふんだんに用いられ、森と一体化した光と影が交錯する建築だ。

しかし、この美術館を訪れて最も印象的なのは屋外空間だろう。

照明計画に不満の残る旧館内部とは違い、明るい日差しで照らされた外部は、森と芝生が組み合わされた庭に彫刻が点在していて、爽やかな気持ちで美術を鑑賞できる。
訪れた五月にはシャクナゲの花が満開で、その艶やかな花、森の風に含まれる松ヤニの甘い香り、嘘のように澄んだ鳥の声など視覚だけではない、様々な体験ができた。

視覚障害を持つ人たちが彫刻を手で触って鑑賞する、というプログラムが行われていたのは、そんな環境もあってだろうか。

美術館の外の国立公園は貸自転車によってサイクリングが楽しめるようになっており、美術館の前にもシンプルで美しい自転車置場が整備されている。

オランダは世界でも有数の自転車王国で、首都のアムステルダムにも立派な自転車専用道路が設けられているが、環境への負担がすくないこの交通システムは、日本でももっと検討されてよいものではないかと思う。

車やバイクとは違い、土地の起伏を身体で直接感じる乗り物。
険しい坂道は無理でも、平野部に広がる都市やその側を流れる大河沿いなどを気持ちの良い空間で繋ぐことは可能ではないか。
自転車道のネットワークは、視覚とは違う自然の体感方法、車のスピードとは違う生活時間の流れを産み出す可能性を秘めている。



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世の中には不思議な人がいるものだ。

こけ山水美術園の運営をされている佐々木さんは、20年にわたって独学でコケの生育・研究をされた方で、実際に多種のコケを育て、野山を歩き、観察によって導き出された独特の論理には重みがある。

谷川に沿って作られた研究所には、ひんやりとした心地よい湿度の空気がたたずんいでいて、美しく育ったコケが不思議な静寂感を放っている。

野山の中でも、苔むした場所には不思議な静寂感・厳粛な雰囲気が漂っているものだが、コケがよく育つ空気には何か共通する成分のようなものが含まれているのだろうか。佐々木さんはそれを「ガス道」と表現されている。
屋久島を訪れたときも、厚くコケで覆われた森の中で同じ、不思議に深い空気が満ちているのを感じたことを思い出す。天を突く巨木の森は毛深く、柔らかな緑で優しく包まれているのだ。

鎌倉時代から室町時代にかけて発達した思索のための庭、「禅の石庭」にコケが使用されるのも、当時の作庭家がそのスピリチュアルな雰囲気を体験的に知っていたためかもしれない。

佐々木さんのお話を伺っているとコケへの愛情が強く感じられるが、哲学的な話にふれることが度々ある。
粘菌の研究で有名な南方熊楠も膨大な思想論を残しているが、菌類やコケなどの研究はその様な哲学を引き寄せるのだろうか。

佐々木さんはまた、コケと対峙してその美を鑑賞する方法を発案されているのだが、その様子を見ていると、かつて日本に生まれた数々の芸事の始まりを見るようでもあり、「心」を重視したその鑑賞法は非常に興味深いものだった。



| 日本 | |
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アドリア海の女王とうたわれるイタリアの古都ヴェネツィア。

どこの国でも大きな街は水辺と密接な関係があるが、この街と水の関係性は独特だ。

石造りの街の隅々にまで運河が入り込み、その様子はまるで一夜にして静かな水が押し寄せたような雰囲気を持っている。
物語を秘めた風景だ。

鉄道でこの街につくと広場があり、「バス停」と書かれたサインの下には軽快なエンジン音と共に乗り合い船が到着する。なんだか冗談のような愉快な風景である。

街の中心を流れる「大運河」には、けたたましいエンジン音の船も行きかっているが、迷路のような裏通りに一歩入ると、静かな空間が広がっている。この街は自動車の乗り入れが禁止されているので、時間は船のリズムで流れる。

「一夜にして静かな水が押し寄せたような」静寂な雰囲気を感じるのも、この時間の流れ方と無関係ではないだろう。


だが、船が通ることができるようにアーチを描いて造られた橋には階段がついており、けっしてバリアフリーな街とは言えない。少しの距離を移動するためにいくつもの橋を渡らなければならない。
車椅子での移動を考えると非常につらい道であるに違いない。

しかし、この街には「船」という交通手段がある。
現在の日本ではバリアフリーの名のもと、とおり一遍等なスロープが造られることが多いが、発想の転換で別の回答を見つけることも可能ではないだろうか。

そんなことも考えさせられる美しい古(いにしえ)の都だった。
fuji03.jpgこの春、なぜか強く藤の花を見たいという気分になり、春日大社に出かけて神苑で白や桃色、八重など様々な藤を楽しんだ。

神苑の藤の花を十分堪能した後、参詣道を下っていく途中に野生の藤が咲いているのを見つけた。近付いてみると、また少し離れたところに藤の花が咲いている。そして、またその先にも。

藤の花に導かれるようにどれほど進んだだろうか。ふいに芝生の小さな広場に入り込んだ。

そこは四方を咲き乱れる藤の花に囲まれた場所だった。霞のような紫の花が森を覆い尽くしている。紫煙がたなびくような景色に、訪れた人々が感嘆の声をあげていた。
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キャンバスにその姿をとどめようとする人、芝生にすわりこんで飽きずにながめる人、重量感のある馥郁(ふくいく)とした香りを楽しむ人、みな様々な方法で花を楽しんでいる。
このような見事な藤の景色をいまだかつてみたことがない。藤を霊木と崇める春日野ゆえの景色といえようか。



藤の季節に奈良を訪ねたなら、ぜひ野生の藤の花をたどってほしい。
その先には、他では見ることができない 「紫たなびく景色」 が広がっているはずだから。
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| 日本 | |
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京都で行われている若冲(じゃくちゅう)展の事前公開に参加する機会に恵まれた。

江戸時代の奇想の画家、若冲の最高傑作と言われる「動植綵絵(どうしょくさいえ)」。中学生の頃にさかのぼる若冲との出会いは、この絵だった。20年も昔になる。

もともと想像上の生物も含めた様々な鳥類、植物、虫の類を30枚の絵とし、3枚の釈迦像を加えた33枚が一連の作品だったという。永く相国寺に収められていたものが明治時代、花鳥画と仏画、それぞれが皇室と相国寺に分けて保管されることになる。33枚の絵が一堂に展示されることはそれ以来なかった。

この20年あまりの間に、幾度か動植綵絵を見る機会はあったが、どの展覧会も数点ずつ展示しているだけで、すべてが並んでいるのは見たことがない。

鮮やかな色彩が緻密に描きこまれた作品は一枚見るだけでも異彩をはなっているのだが、その絵が33枚も並ぶと圧倒されるような迫力がある。
動植綵絵が展示されている部屋に入ると、両側の絵がざわめいているかのようだ。
この美術館は、この33枚の絵を展示することを想定して設計されたそうだが、その効果が遺憾なく発揮されている。


展示室前の中庭には、若冲と親交が深かった大典禅師お手植えの大ケヤキがある。工事のためか上部の枝が大きく切り払われていたが、根は隆々と盛り上がり、力がみなぎっていた。

200年以上も同じ場所に生き続けるこの木は、再び京都に戻ったこの絵をどのような気持ちで見守っているのだろうか。


若冲展 
釈迦三尊像と動植綵絵~120年ぶりの再会~

会期: 2007年5月13日(日)~ 6月3日(日)
会場: 相国寺承天閣美術館
開館時間: 午前10時 ~ 午後5時(入館は午後4時半まで)
休館日: 会期中無休




| 日本 | |
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「東南アジアのホタルはクリスマスツリーの様に、光が同時についたり消えたりする。」
子供の頃そういう話を聞いて、ずっと見てみたいと思っていた。


マレーシアの首都クアラ・ルンプールの郊外にあるクアラ・セランゴールはホタルで有名な町だ。

夕暮れ、ホタルが住むという岸辺に着いて、四人乗りの小さな手こぎ船に乗り込む。暗い川の両岸には木の茂みが続いていて、木立の黒いシルエットが見えるだけだ。
一人の船頭によって漕がれる舟は、音も無く静かに流れる川面をゆっくりとすべって行く。
ふいに友人が「あっ」と声をあげた。

指し示す方向を見ると、暗闇の中にかすかな光が見える。
ゆっくりと進む船に身を任せていると徐々に光の数が増えてきた。暗闇に目が慣れる時間が必要だったのだ。
暗闇から浮かび上がってきた風景は、とても言葉にできないような幻想的な景色だった。

星のように小さな、そしてもっと柔らかな光が、一斉にふわりと光っては、フワッと消える。河辺に生える優しい枝振りの木は、細い枝の先まで無数に青白い光が散りばめられている。

「銀の雫(しずく)ふるふる まわりに」とは、知里幸恵の『アイヌ神謡集』の一節だが、そんな銀の砂が蒔かれたような景色がどこまでも続いている。

同行した友人がマレー語で船頭から聞くところによると、ホタルの光は川に沿って数十キロも連なっているらしい。その様子を想像するだけでも不思議な気持ちになる。

ここで味わえる景色は暗闇と豊かな自然、静かな音風景から成り立っていて、どれが欠けてもこの雰囲気は生まれない。十数年前から観光資源としてこの環境が保護されているそうだが、これからもずっと残っていてほしいと感じさせる光の景色だった。

(写真左)
ホタルを見るための船のりば。ホタルの写真撮影は禁止されている。
(写真右)
セランゴールへ行く時に買ったドゥクと呼ばれる果物。グレープフルーツのような爽やかな味がした。



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永く平和の続いた江戸時代には様々な植物が園芸植物として栽培され、数多くの品種が作られた。
アサガオもその一つで、栽培されていく中で複雑な変化を遂げ、現在に伝えられている。

アサガオと言えば小学校の理科の授業で育てられる植物で、一般的にはラッパ型の花のイメージだろう。

だが江戸時代に作られた品種群はそのイメージからはほど遠く、花びらが八重になったもの、細く糸状になったもの、風車のようになったものなど、非常に変化に富んでいる。複雑に変化した花はオシベとメシベが無くなっていてタネが出来ない品種も多い。

タネが出来ず、冬には枯れてしまうアサガオ。その不思議な花を見るためには、変化を産み出す親アサガオを探し出して毎年タネを蒔き直す。親となるアサガオを探し出してタネを蒔いても、すべての苗が変化のある花を咲かせるわけではない。複雑に交配された品種には蒔いたタネの内 1/16、1/64、また更に少ない確立でしか現れない花もある。

複雑な品種を毎年咲かせるには、毎年膨大な数の苗を育て続けなければならない。太平の世が終わり、その後に迎えた激動の時代を考えると、これらの品種が今に伝えられているのは奇跡とも言えるだろう。

終戦記念日が近付く頃に花の盛りを迎えるアサガオ。その儚げな花を見ていると、平和な時代が産み出すものの豊かさを感じたりもする。

(写真上)
右の写真の八重咲き(牡丹咲き)の花は、写真左の一重の花のタネから1/4の確立で出現する。植物事務所COCA-Zで育てたもの。

(写真下)
七月下旬から八月上旬にかけて全国で開かれる朝顔展。明治時代には各地で大輪朝顔の様々な仕立て方(育て方)が考え出されて現在に継承されている。写真は京都での展覧会。京都では一つの株から一度に数多くの花を咲かせる「数咲きづくり」と呼ばれる仕立て方が考案された。


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飛行機に乗って新たな土地へ行くのが好きだ。

ひとつの街にたどり着くと、そこでは新たにたくさんの記憶が創り出される。ささやかな楽しみも心さみしく思う時間も。

空に雲が多い日、飛行場を飛び立つと、様々な記憶が詰め込まれた街は次第に小さくなり、そのうち雲にかすんで消えてしまう。

そして小さな感傷もつかの間、雲の中の白い世界を抜けると、青い空と雲海の広がる光の世界が目の前に現れる。

その瞬間に街の記憶は過去のものとなり、新しい土地へ行く希望が広がる思いがする。

初めて飛行機に乗って旅に出てからずいぶん時が経つ。
次はどんな世界が待っているのだろうか。


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「ご覧のように、この街で統一された美さを感じさせるのは街路樹だけです。」

先日テレビ番組をみていると、美学を研究しているという大学の教授が街並みを見て嘆いていた。

映像に写っていたのは東京と思われる街路で、ケヤキ並木の後ろに様々な色の看板が並んだ景色だった。
しかし画面をよく見ると、歩道は美しい自然石で舗装されてあり、車道に敷かれたアスファルトはどこまでも続いている。



高い場所から街を眺めると、道路には様々な記号が書かれてあり、アスファルトの灰色に浮かび上がって面白い模様を描き出しているのが見える。
アスファルトは原油から作られる。
原油が採り尽くされた未来の歴史書にはこう書かれるかもしれない。

「20世紀から21世紀にかけて、地球の道路はアスファルトという美しい舗装がなされていました。その落ち着いた色の舗装には世界共通の記号が描かれ、統一された美を醸し出していたのです。」


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「大理石の夢」という別称でも知られる建造物。

ギリシャやローマの神殿、ミケランジェロやベルニーニの彫刻など、世界には大理石で作られた魅力的な造形物が多く知られるが、これほどまでに力強い造形と繊細な装飾性を兼ね備えたものを知らない。


アーグラの街の喧騒を越えて大きな赤い石造りの門をくぐると、白く王冠のようなドームを載せた姿が目の前に現れる。

静かな園内に設えられた水路に沿って歩き、建物に近付いていくと印象的なシルエットは何時の間にか消え去り、壁面や基壇に施された装飾に目を奪われる。細部にまでわたって作られた繊細な象嵌や浮彫に、ただただ溜息をつくのみだ。

装飾的に施された文字、軽やかなラインを見せるアラベスク文様、大理石で造られた透かし彫りの欄間。

余白を活かすといわれる日本の文化と同じく、「間」を意識した構成が心地よい。即興性が強い日本の感覚とは違って、より構築的に作られた雰囲気を醸し出している。


近年、タージマハルの周辺は大気汚染による大理石の汚れを警戒して、車両通行が禁止になっていると聞く。この地を訪れてから十数年が経つが、この白い墓廟は今も美しい夢を紡ぎ出しているだろうか。


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北欧の自然はシンプルで厳しい。

大きな木は種類が限られていて、目にするのはトウヒやマツといった常緑の針葉樹、白く明るい幹肌のシラカバ、赤い実で目を楽しませるナナカマドといった限られた木々だ。
国土は堅い岩盤でできており、薄い土壌に育つ植物たちは短い夏を何度も重ねて緩やかに育つ。


ストックホルム郊外にある森の葬祭場と森の墓地は、樹齢200年のマツやトウヒの自然林を利用して作られた場所だ。
1915年、人口が急激に増加したストックホルム市は将来必要になると思われる壮大な墓地と、葬祭場の国際コンペを行った。
そのコンペを勝ち抜いたのがグンナール・アスプルンドとシーグルド・ レヴェレンツという二十代の二人の若者だった。

現在この地で見られるのは、その優勝案とは大きく異なる。世界大戦による予算縮小の影響で計画変更を余儀なくされたからだ。だがその経緯が幸いしてか、きわめて優れたランドスケープと空間が創り出されている。

世界遺産にも登録されているこの墓地と葬祭場。
最も知られた大きな十字架に向かう道は本来の主動線ではない。
当初から多くの一般市民のために創られたこの墓地は電車で訪れ、そして歩いて葬祭場へ向うよう計画されている。もちろん将来を見越して、当初から車の動線も想定されているけれども。

参列者の道は丘へと向かう階段から始まる。既存の地形を利用した丘の階段は頂上に近付くほど緩やかな段差になっており、人々の息が切れないように配慮されている。

心静やかに丘の上に登ると、12本のニレの木と花壇で囲まれた井戸がある。心を静めるための空間だ。12の数は一年の巡る季節を表しており、人生の推移をそこに感じ取ることができる。

そこからは遠く南に真っ直ぐな道が通っていて、その先に葬祭場が見える。

芝生の丘を下りると最初に見えるのは輝かしく白い幹を見せるシラカバの林。この明るい林は人生の華やかな時代を表している。

その林に続くのが真っ直ぐな赤い幹を見せるアカマツの森。林床は芝生で覆われていて小さな墓石がならんでいる。日本の墓地とは違って明るい雰囲気で、斜めから差す陽射しの影が美しい。

さらに足を進めると、葬祭場の近くはトウヒの暗い森だ。これらの森では、木々がそれぞれの空間で葬列者へ心の準備を促す。神社の参道にも似た荘厳で精神的な道のりだ。

建築内部の床は棺台に向って緩やかな傾斜がつけられていて、故人の入った棺に自然と視線が集まるように計画されている。
当初の案では祭壇も設定されていなかった。神ではなく、故人を想う空間にするためだ。

この墓地には三つの葬祭場があるが、後に建てられた二つの建物は参列者が建物に入る扉・退出する扉は別々に設定されていて、悲しい時間を過ごした人たちは最後に明るい空間に出て、再び日常の世界へ戻っていくことができるようになっている。



最後に作られた、最も大きな葬祭場。その内部は300人が参列できる大広間と、その他の二つの小間に分られていて、それぞれに待合室と心を休める小さな庭がある。市民のための葬祭場として作られたこの建築は葬儀が込み合う時も、互いのグループが顔を合わせないですむよう動線が設定されている。

訪れた当日、小間の方では葬儀が行われていたため、大広間を見学させてもらった。内部は参列者の痛んだ心が安らぐよう、すべては緩やかな曲線で構成された空間になっている。どこまでも参列者の心に沿うような空間。

式が終わると背後の大きなガラス窓が自動で降り、光に満たされた明るい風景がパノラマ状に広がるように計画されていた。
だが、この計画は時期尚早だったようで、竣工当時、葬儀に相応しくない大きな機械音が出てしまったため、新たに付けられた小さな扉から出入りするように変更された。


設計者であるグンナー・アスプルンドが亡くなってから68年後の2008年、新しい技術が導入され、このガラス窓が自動で静かに降りるよう改良された。
この11月にお披露目をされることになったらしい。内部空間を曲線で作ることにこだわったためガラス窓も曲線を描いていて、技術的に非常に難しいものだったという。
この改良によって、よりアスプルンドが目指した葬祭場に近付くことだろう。



見学の最後、敷地内にあるアスプルンドの墓を見た。その小さな墓碑には

---彼の建築は生き続ける---

と記されてある。


この場所を的確な説明で案内してくださったA女史、そしてこの場所の見学ツアーにお誘いいただいたI 御夫婦に深く感謝します。



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熱帯の輝く陽射しの中、緩やかな風に載って鮮やかな花車が通り過ぎる。




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日本の人力車が発祥と言われる自転車タクシー。独自に進化したその乗り物はアジアの各地で見ることができる。

インドのリキシャ、ベトナムのシクロ、インドネシアのベチャ、マレーシアやシンガポールのトライショーなど。
なかでもマレーシアの古都、マラッカのトライショーは独特だ。

街の中心部、オランダ広場はマラッカの観光名所が集まる場所で、観光客目当てに様々な造花で意匠を凝らしたトライショーが並ぶ。熱帯の強い日差しを受けて眩しいほどだ。

ロンドンの赤い二階建てバスやニューヨークの黄色いタクシーなど、街を特徴づける乗り物は世界各地にあるが、マラッカのトライショーは溢れる極彩色が街をいろどり、常夏の国の旅情を掻き立てられる。

スピードを追求しないその乗り物の速度に南国の長閑さを感じるのは、北の国から訪れた旅行者の勝手な思い込みだろうか。


中国文化とマレー文化が融合し、華やかな「ババ・ニョニャ文化」を産み出したマラッカ。
トライショーは近年とみに装飾が華美になっていると聞くが、またここから新しい文化が生まれていくのかもしれない。

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夜桜には特別な雰囲気が漂うものだが、大阪の造幣局の夜桜は特に濃厚な気配に満ちている。


九州から東北へと駆け登る染井吉野(ソメイヨシノ)の桜前線。
亜熱帯に属する沖縄ではカンヒザクラが、冷帯(亜寒帯)に属する北海道ではオオヤマザクラが染井吉野の代わりを務める。

古くからサクラが愛でられてきた日本。平安時代には匂い立つような野生種のヤマザクラが、明治以降は園芸品種のソメイヨシノが広く楽しまれてきた。

華やかなソメイヨシノや上品なヤマザクラも捨てがたいが、古くから園芸が盛んだった日本には多くの品種が存在する。

沢山の品種を一度に見る場所は少ないが、大阪の造幣局はその数少ない場所のひとつ。大川(旧淀川)沿いに植えられたソメイヨシノが一息つく頃、造幣局のサクラが最盛期を迎える。


多くの花弁が重なり合い、花の重みのためか大きく湾曲した枝姿は妖しささえ感じさせる。楊貴妃(ヨウキヒ)、麒麟(キリン)、普賢象(フゲンゾウ)といった厳めしい名前も重厚さを演出するようだ。

サクラは儚く甘い夢のようなものだけではない。古くから多くの人の努力によって伝えられている様々な雰囲気のサクラを、もっと色々な場所で楽しむことができたらと思う。

関東では多摩森林科学園に、北海道では松前町桜見本園に多くのサクラの品種が集められているので、一度その雰囲気を味わってみてはどうだろうか。




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縁側の椅子に座って景色を眺める。

足元から流れる空気。

木立を渡る風は、ここまでひんやりとした潤いに満ちているものなのか。



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数々の歴史の舞台となり、フランスを代表する庭園としても有名なヴェルサイユ宮殿。
学生時代、地平線のかなたまで人工的に造られた庭園を歩いてまわり、この庭のハイライトは宮殿周辺からの眺めで、移動は馬か馬車の使用を前提に計画されていると思い知らされた。

どこまで行っても変わり映えしない景色、先へ進むほど大味な刈り込み。庭園内の施設と施設の間は恐ろしく離れている。
宮殿内の黄金装飾も、日本の蒔絵や截金(きりかね)を見慣れた目には雑な仕事としか映らない。

フランス式の宮殿に落胆してから十年、やっとヴォー・ル・ヴィコント城を訪れる機会を得た。



ヴォー・ル・ヴィコントはヴェルサイユの庭園を設計した人物 (ル・ノートル) が、ヴェルサイユよりも以前に手掛けた庭だ。この庭をもってフランス式庭園が始まるとされる。

美しい並木道を抜けて、幾分厳めしい門構えから館に入ると鏡張りの扉がある。今、通ってきた景色が映るこの扉を開けると、広間の向こうに美しい庭が広がる。鏡の中の国に来たような不思議な演出。

果てしないヴェルサイユとは違って、適度な広さが心地良い。
ヴェルサイユは 「森に引かれた道と水路のヴィスタ(軸線)」 のイメージが強いが、ここヴォー・ル・ヴィコントは 「森に包まれたフラットな庭園」 の雰囲気を感じさせる。


刺繍(ししゅう)花壇の繊細な美しさはどうだろう。地上に吸い付くように、まさに 「大地に刺繍された」 ように見えるのは花壇が一段掘り下げられ、ツゲの刈り込みが周辺の地面と一体となるよう計画されているからだ。様々な色の砂利と芝生、微妙な高低差を利用することで整然とした美しさと繊細さが同居している。



館を出て、庭園を進む。
なだらかに下る敷地を利用して創られたテラスが空間の分節となってリズムを創り出す。

庭の中央に位置する池まで行くと、新たに左右に眺望がきくようになっていて、左右で景色が違う。全くの左右対称ではないのだ。

屋内からは庭のアクセントとして見えたゼラニウムの植木鉢や西洋イチイの刈り込みも、近くに行くと見上げるように大きく迫力がある。

庭を歩いていると、その刈り込みたちが動き出す。
同じ大きさの刈り込みが距離をおいて点在するため、錯覚でダンスでもしているかのように動いて見えるのだ。



庭の視線の先にある、丘の上の彫像を目指すと、館の展望台からも見えなかった大きなカナル(水路)が姿を現した。
そのカナルの手前には館に背を向けて豪華な壁泉噴水彫刻が設えられてある。室内から眺めるだけではこの壁泉噴水の存在に気付かない。

庭を進んで初めて気付くこの贅沢な空間。そう、この庭は館から眺めるだけでなく、その中を動いて楽しむ庭でもあったのだ。
自然の小川を堰き止めて作ったこのカナルでは舟遊びも行われたという。※


「足を進めると違った景色が立ち現れる」


日本の池泉回遊式庭園や中国庭園、イギリスで生まれた自然風景式庭園にのみ使われるこのフレーズは、フランス式庭園発祥にして最高峰と言われるここ、ヴォー・ル・ヴィコントにも当てはまる修辞句だったのだ。

■ 現地で録画した動画はこちら(音が出ます)■



※参照 『ヴォー・ル・ヴィコント春秋 -魅惑のフランス庭園-』 岡崎文彬著


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街から遠く離れた古い日本家屋で日付が変わる頃、眠りにつくためにテレビを消して二階へ上がる。
網戸に開け放された窓からは涼しい風、そして圧倒的な虫の声に驚いた。

「虫の声」=「秋の夜の寂しげな音」

街中でも聴くことができるコオロギ(ツヅレサセコオロギ)のか細い声や、ホームセンターで鳴くスズムシの声を聴きなれていると、虫の音を女性的な儚いイメージで捉えてしまう。

しかし、ここで聴こえる重奏はどうだろう。

力強く鳴き続けるクツワムシをベースに幾十の音が重複して、空気に生命力があふれかえるようだ。
「ガチャガチャ」と表現されるクツワムシの音は、童謡で歌われるほど呑気な音ではない。凄まじい勢いで打たれる打楽器を想わせる。

虫の音を愛した小泉八雲・ラフカディオ・ハーンは鳴く虫を
「大地の美しいさけび※」
と表現しているが、彼が聴いたのもこのような重奏音だったに違いない。


※ 『新編 日本の面影』 ラフカディオ・ハーン著 池田雅之訳


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夏の終わり、友人に誘われて新潟で行われている現代美術イベント、新潟妻有トリエンナーレを訪れた。
会場はいくつかの市町村に渡った広大な範囲で、数百の作品が点在していてすべてを見るのは不可能な規模。

友人の車でめぼしいものをピックアップして見学したが、作品よりも興味を引いたのは会場近辺に住む人たちの家や納屋の形だった。
温暖な地方には見かけない不思議なフォルムの家が目に付く。

その形の理由を友人たちと考えた末、行き当たったのは「雪の存在」だった。

新潟は世界有数の豪雪地帯。
不思議に思えた家の造りはすべて新潟の風土が導き出した形だったのだ。

「民家」という言葉からは、「黒光りする太い木の柱」 「カヤや瓦で葺かれた重厚な屋根」 「土間や釜戸」 といったノスタルジックなものを連想するが、それらはかつての社会システムが、身近にある材料を使って快適な住空間を創ろうとした結果。

現代では新しい素材が開発され、容易に手に入る社会となっている。そこから新しい民家の形が生まれていくのは自然なことなのだろう。


○雪が積もる一階部分は頑丈なコンクリート造り

○変化する積雪量に対応できる二階玄関とエントランス階段

○雪を滑りやすくするカーブや急勾配を持った金属屋根
(瓦ではこのような角度を作るのは難しく、カヤ等よりも摩擦係数が少ないので雪の滑りが良い)

○家の正面側の屋根を急勾配にして、雪を裏庭に落とす勾配配置

これらの特徴は今後、この地方に伝統的な形となって伝えられていくのだろう。


そろそろこの地方も雪で閉ざされる季節がやってくる。
新しい民家の形は厳しい自然の中で快適な空間を生み出しているに違いない。


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