今までに訪ね歩いた場所についての備忘録。
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正しくは「おうとっか」という建物。でこぼこした土地に建てられた住居という意味らしい。

京都の様に古い庭園が数多く現存し、良い状態で保存されている街は世界的に見ても珍しいと思うが、その中でも個人的に非常に気に入っている庭園のひとつ。
約350年前に造られた庭で、名前の通り、敷地の高低差を活かした庭の構成になっている。

低木を刈り込んで形づくる庭は桃山時代の南蛮文化の影響とされているが、それを考えればこの庭が出来た当時にはかなり斬新なデザインであったと思われる。
以前案内した友人がこの庭を見て、バーバーパパを連想させる、と評したことがあったが、現在でもユニークさを感じさせる庭だ。

この庭で注目すべきものの一つにサウンドスケープ(音の景色)の積極的導入がある。

造園の世界には小さな流れや滝で水の音を楽しむ庭園文化が古くからあるが、この庭には「ししおどし」が設置され、時おり鈍い音を響かせる。音があることで逆に静けさを強調させる装置だ。
この庭を造営した石山丈山もその音を愛でたと言われている。

夏に訪れると、側の山から絶えず蝉時雨が聞こえる。街中で聴く、うだるようなクマゼミの声とは違い、アブラゼミ、ツクツクホウシ、ヒグラシへと時間を追って変化していくさまは、夏の気だるい風情を感じさせ、心地よい音の景色となっている。
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| 日本 | |
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険しい山と海に囲まれ、古くから独特の文化を育んだ土佐の国。
高知市の北東に流れる物部川の中流、大川上美良布神社の秋の大祭には、素朴でありながら非常に興味深い神事が伝わる。

祭りでは、川上様とよばれる神様の一族が御旅所に遷られるために「おなばれ」と呼ばれる行列を仕立て、練り歩く。
行列には神輿、大太鼓、音がなる様に作られた碁盤を振り回し踊る「碁盤振り」、二人一組になって棒を叩き合い音を鳴らす「棒打ち」、舞姫、天狗、獅子舞、稚児など様々な人々が連なるが、その中でも特に不思議な雰囲気をもつのが「鳥毛・とりけ」である。

江戸時代、参勤交代を申し付けられた各藩は幕府によって定められた独自の「毛槍」(けやり・装飾のついた長い槍)をかかげ、江戸との間を往来した。毛槍には羽熊(ハグマ・白熊とも綴るヤクの毛)や、白鳥、小鳥毛、猿毛など様々な素材と形のものがあったと伝えられるが、土佐藩の毛槍は尾長鶏の羽で作られた鳥毛で、江戸でも有名なものだったと言う。

この祭りには5種の毛槍が用いられているが、その内の一つは尾長鶏で作られた鳥毛だ。

「おなばれ」に従う毛槍は絶対に地面につけてはならない事になっているため、鳥居や電線をくぐる時、6mもある棒を地面に触れぬ様に傾けて進まねばならない。一時休憩する時も草履の上に棒を立てて休む。


祭りのハイライトは「おなばれ」が御旅所から戻り、この毛槍を持って神社に参拝する「練り込み」の瞬間だ。
毛槍は傾けるとテコの原理で非常に重たいものになる。そこで毛槍を持つのはその年に選ばれた力のある若衆の役目となるのだが、ハイライトではその毛槍を参道に三度、地面ぎりぎりまで倒してお披露目をした後、拝殿の中に傾けた毛槍を突っ込み、三度大きく揺らす動作を行う。
揺らすことによってバネの力でさらに重たくなるのだが、その間に一度、片手でお参りの鈴を鳴らさねばならない。
鈴を鳴らした後はそのままの体勢で後ろ向きに石段を下り、参道の両端で見学する参拝客の頭をなでる様に三度触れた後、棒を引き起こす。

一連の動作には若衆の体力の限りを尽くして行われるため、見守る観客にも力が入り、神社全体が一体感に包まれる。スポーツを観戦する時に似た感覚だ。
かつて祭りというものには観客も参加者も一体となるカタルシスの効果があったのだろうと思われるが、そんな事を連想させる瞬間だ。
以前、祭りが持っていたその役目を、現在ではオリンピックやワールドカップが代行しているのだろう。


また、かつての空間概念として、「高い所にあるもの=尊い」といった感覚があったと思われるが、この祭りはその感覚が追体験できるものだった。
この祭りが行われる集落の建物は平屋が多く、毛槍が遥か上方で揺れているのだ。遠くからも「おなばれ」がどの辺りにいるのかがわかる。
京都・祇園祭で薙刀鉾の先に取り付けられる薙刀も、かつては仰ぎ見ることで神性を感じたものだっただろう。

大川上美良布神社の秋の大祭は、そんな在りし日のお祭りを体験できる貴重な行事だと感じられた。

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| 日本 | |
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夕方、大阪市内で自転車を走らせていると、上の方で鳥の声がする。ふと見上げると、街路樹に沢山の小鳥のシルエットが浮かび上がった。

大阪の街路には様々な木が植えられているが、ここも数年前に整備されてクロガネモチが植えられた場所。

スズメは繁殖期が終わると集団で生活を始め、葉の茂った木立をねぐらとする習性があるが、街路樹を導入することで、街中でもこのような牧歌的光景が見られるのは楽しいことだ。


木立のシルエットはエッシャーや、安野光雅の 『もりのえほん』 を思わせる「かくし絵」の様だった。あなたは何羽の鳥を見つけることができるだろうか。
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| 日本 | |
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大阪のキタとミナミ、二つの繁華街を一直線につなぐ御堂筋は1937年に建設された巨大インフラ(産業・生活基盤となる施設)だ。

もともと幅6m程度しかなかったこの道を、地下鉄・電線の埋設をともなった大通りとして整備したのは第七代 関一(せきはじめ)大阪市長の力によるところが大きい。

イチョウ並木はこの大通りが建設された時に植栽されているが、樹種をイチョウと決めるまでに様々な紆余曲折があったようだ。
帝国時代であった当時、「パリのシャンゼリゼのように世界に冠たる大通りを建設する」という理念のもとに、アジア特産のイチョウが選定されたと聞く。

建設当時「飛行場でも作るつもりか」と批判された約44mの道幅といい、現在見ても気持ちの良い大空間を持つ地下鉄の駅や、電線の無い地上空間といい、建設当初から50年、100年先や世界を見据えたスケールの大きい視野を感じる。

現在の御堂筋は大きく育った四列のイチョウ並木がヨーロッパの雰囲気を感じさせるというので、世界的なスパーブランドのブティックの出店が相次いでおり、各店舗の規模、出店数はブランド街として東京をしのぐ日本一の規模を誇る。

御堂筋拡張による周辺問屋街の発展、空襲にも焼け残った御堂筋での戦後復興など、現在にいたるまで御堂筋の存在は大阪の経済に大きな影響をもたらしている。

約70年前、爆発的に成長する「大大阪(だいおおさか)」をイメージして作られた御堂筋。

現在から100年の後、爆発的に増え続ける世界人口とは逆に人口が半減し、その70%が都心部に住むとも言われる今後の日本。

未来と世界を見据えた計画は、現在にも必要不可欠な考え方と言えるのではないだろうか。


| 日本 | |
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古くから都の置かれた奈良には、シルクロードを通じてもたらされた数々の至宝があるが、南都楽所(なんとがくそ)に伝えられる雅楽もその一つだ。


年の瀬も迫った十二月、奈良の春日大社では春日若宮おん祭(かすがわかみやおんまつり)という盛大な祭りがとり行われる。

3日間に渡って行われる祭りには、時代装束を着た行列や流鏑馬(やぶさめ)、競馬など様々な演目が行われるが、その中でも祭りの華となるのが「お旅所祭り」だ。
緑の杉枝で葺かれた御旅所の前に芝の舞台が設えられ、神楽(かぐら)に始まる芸能が半日に渡って奉納される。

舞楽奉納には千年の伝統をもつ南都楽所の人たちが演奏を行うが、その楽隊は総勢30名近い楽人で構成される大所帯である。

それだけの大人数で演奏するにも関わらず、楽隊には指揮者がいない。大太鼓(だたいこ・写真上右)がゆるやかなリズムを刻むだけだ。


楽隊はいくつかの楽器で構成され、役割ごとにひとかたまりとなって座っている。演奏者の手元には火鉢が置かれ、暖をとると共に楽器を暖めながら演奏が行われる。

同じ楽器を受け持つ人が数人いるため、ある人は演奏の最中に突然チューニング(楽器の調整)を始めたり、中にはおしゃべりを始め出す演奏者もいて、西洋のオーケストラを見慣れた目には、その「あいまいな役割分担」がとても不思議に感じる。

この「あいまいさ」こそ、雅楽が大陸では消滅し、日本のみで伝承されてきた歴史の理由なのかもしれない。


雅楽の奉納が終わった後、深夜0時近く、御神体が神社に帰る「還幸の儀(かんこうのぎ)」が行われる。
2本のたいまつ以外すべての光を消して行われる儀式であるため、カメラや懐中電灯、携帯電話の使用禁止が申し渡される。

暗闇の中たいまつを引きずって歩く先導人の後、榊を持った神主が幾重にも御神体を取り囲み、「ヲー、ヲー」と絶え間無く声を上げながら進んでいく。
楽隊もそれに続き、暗闇の中に響く肉声と器楽音が不思議なコントラストを見せる。

現在では混乱が起きないよう、参拝者の歩く順番も管理され、昔日のような原始的雰囲気が味わえないが、かつて春日の原生林の暗闇で行われたこの儀式はとても神秘的なものだったと想像される。

祭りは人の手で行うものである以上、時代とともにその関係性を変えていくものなのだろう。
860年以上途切れることなく続けられているこの祭りにも、能や大名行列など、その時々で新しい内容が付け加えられている。


これからも、あるものは変化し、あるものは継承されるといった歴史をたどることだろう。そんな歴史の変遷を考えさせられるお祭りだった。


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